準備ができたか、どう見るか
人間には、思っている以上の持久力があります。元気で、今病気もけがもないなら、21.1kmという距離そのものは、長い散歩に短いランを挟む形で進める人もいるでしょう。とても時間がかかり、苦しく、たくさん歩くかもしれません。僕は当初、自然がくれた力はそのくらい大きいのだと考えていました。ただし、それと「今日、準備なしにハーフを走って大丈夫」は別のことです。
では、その21kmに何時間かかるのか。走ってみなければわかりません。でも、準備なしに試せば、いい思い出にはなりにくい。まず3〜4か月、あるいはもっと準備したいところです。定期的に練習すれば、自分が気持ちよく走れる速さと距離もわかってきます。僕は週40km以上を繰り返せることを、ハーフへ向かう目安にしていました。一般に、無理なく積める距離が増えるほど、タイムを縮める土台も育ちます。
フルはどうか。ハーフを走れた経験は、大きな一歩です。次にフルの完走を目指すための自信になります。ただ、所要時間も、そのための追加の準備も別の問題です。初めてのフルなら、タイムがどうであれ、走り切ったこと自体が立派な達成です。もちろん、それが初めてのPBにもなります。
僕が考えた最初の目標は、ハーフ2時間30分切り、フル4時間30分切り。週40km超を一つの目安にしました。次はハーフ2時間切りと、フルのサブ4。そのとき考えた量は週60km超です。もちろん、距離だけで結果は決まりません。その先は、自分がどこまで望むかです。
呼吸
若いころ、驚くようなことのできるチベットの走者について、本で読んだことがあります。
例えば、トゥンモの修行者は、高い山の寒さの中で、体にかけたぬれた布を乾かすという。集中や特別な実践によって「内なる火」を起こし、体を温める、と説明されていました。雪の夜、氷の穴の水でぬらした布を、座って瞑想する人へかけ、何枚乾かせるか競う。僕の読んだ話には、一晩で3〜21枚という数字も出てきました。
同じ本には、ルンゴムパというチベットの歩行者の話もありました。高山の長い距離を、普通の歩行では考えられない速さで進む人たちです。確かな情報は少なく、ヨーロッパ人が出会ったという記録もわずかで、記述は詳しくありません。
その話によれば、訓練の中心は、深く集中した状態と、道中に口の中で唱えるマントラです。昼は遠くの目標へ視線を定め、何があっても気をそらさず進む。集中が一種のトランスにつながり、距離を機械的に越えていく、と書かれていました。
マントラは音や語、語のまとまりです。サンスクリットの言葉が、唱える人に響きを生む。僕はそこから、一定の呼吸のリズムというものを考えました。
走りながら心の中で繰り返す、自分の短い言葉があると、リズムを保ちやすい。言葉自体が特別な意味を持つ必要はありません。僕に大事だったのは、呼吸がそろう感覚でした。
どんなときにも使える魔法のマントラが、僕にあるわけではありません。ときどき「セー・ショー」と言います。「ソーハム」は吸う音と吐く音を結びつける呼吸のマントラとして知られていますし、「ハムサ」「ヘイ・シュー」といった音も聞きます。太宰治の『走れメロス』の「私は信頼されている」なら、背中を押してくれそうです。もっとも、僕は心の中で「ピ・ロ・シ・キ」だっていいと思っています。
距離の感じ方
準備の程度によって、無理なく走れると感じる距離の上限は変わります。最初は、走った日と走らない日の違いを感じるだけ。5km走れば「たくさん走った」と思い、3kmならそれほどでもない。僕はそうでした。
ある距離から次へ移る境目は、今でもはっきり覚えています。妻が三重県鳥羽市で働いていたころ、僕は海沿いの道を走っていました。ミキモト真珠島や鳥羽水族館のそばを抜ける。シューズを履いて走り出すと、旅先の名所が、いつものランの目印になります。朝、走り出すたび、昨日より少し先へ行き、次の曲がり角の向こうを見たくなりました。
妻とは伊勢にも出かけ、天照大御神をまつる伊勢神宮の内宮を訪ねました。二見では、夫婦岩を眺めました。しめ縄で結ばれた二つの岩を、夫婦で見に行く。こう書くと少し照れくさいのですが、いい眺めでした。二見興玉神社では、二人でカエルの像をなでました。「無事かえる」の縁起には、ランナーとしても、あやかっておきたい。遠くまで走っても、ちゃんと帰ってくる。なかなか大切なお願いです。
当時、10kmなら一日を普段どおり過ごせました。疲れはほとんどない。でも11〜12kmになると、脚が少し重く、一日を通して「今日は練習した」と感じる。翌日に10kmだと、また普通の一日です。それは7月半ば、週に80kmか、それより少し多く走り始めたころのことでした。10と11のあいだに、そんな薄い境界があったのです。
疲れをまだ感じない距離と、感じ始める距離。そのときの境目を知ることは、大切だと思います。やがて境目が、もっと長い距離へ少しずつ移っていくのに気づくでしょう。
残念ながら、逆にも働きます。練習を減らせば、以前より短い距離でも負荷を感じるようになります。
バランスの感覚
下あごの下、舌の付け根のあたりには、馬蹄の形をした小さな骨、舌骨があります。筋肉などに支えられている骨です。僕は施術を受ける中で、これを体のバランスに関わる「内なるジャイロ」のように説明され、興味を持ちました。
その説明では、舌骨につながる筋肉の緊張や姿勢が、呼吸や動き、負荷のかかり方と関わるということでした。首や肩、体幹の働きがそろわなければ、別の筋肉が補い、腕の動きも変わり、早く疲れてしまう。僕には、長い距離で小さな偏りが積み重なる話として響きました。
目を閉じて腕を前に出し、その場で膝を交互に上げる運動を30〜50回する、という例も教わりました。目を開けると、初めの位置からずれていることがあります。ただし、その結果だけで舌骨のずれがわかる、あるいはバランスが完璧だと判断できるわけではありません。
僕が気にしたのは、無意識のうちに体が余計な動きをしていることです。部屋で少し動くだけなら気にならなくても、森や広い場所、長いランでは、小さな修正を何度もすることになる。余計なエネルギーを使っているなら、少しでも減らしたいと思いました。
そんな理由で、ときどきマッサージとキネシオロジーを行う施術者へ通っています。体のどこかが張り、姿勢や歩き方に左右差が出て、足の向きも少し変わる。短い距離では見えなくても、20km走ると体調に表れることがあります。
施術では脚、体幹、背中、舌骨につながる筋肉などの状態を見てもらいます。僕には、体の動き方を見直す機会になっています。こうした施術の説明や、自分が感じたよさを、そのまま一般的な治療効果の証明とすることはできませんが、体を細かく気にかけるきっかけになりました。
ヨガとランニング
45歳です。けがは、とにかくしたくありません。たくさん走れば、可能性はあります。特別けがをしやすいほうではないけれど、安全には気を配りたい。
若いころ、武術とテコンドーに夢中でした。いろいろな柔軟運動があり、やめたあとも、なじみの動きをときどき続けました。今も比較的体は柔らかく、ヨガのポーズも、多くは形をまねできます。
強く走ったあと、筋肉が張り、震え、ときにはつることがあります。ストレッチが役立つと聞き、僕も取り入れています。たいていは夜、寝る前。ときには練習のあとにも、ももの裏を伸ばしたり、開脚したりする一連の動きをします。
人によるでしょうが、僕は長く走ると、背中や腕もこわばります。背中を伸ばすのも、好きな時間です。
ヨガのアプリをいろいろ試し、Unagrande Yoga Clubを選びました。イタリア系の柔らかいチーズのブランドが支援していて、多くのレッスンがあります。僕は、とても気に入っています。
僕が親しんだヨガには、国対抗の優勝争いや、他人と比べるランキングの雰囲気はありません。競うより、協力する。体と心へ意識を向け、自分をよくするために練習する。大切なことができたら喜び、続け、次の個人的な目標を見つける。できなくても続ける。自分を打ち負かすより、よくしていくのです。
市民ランナーの走りも、理想は同じだと思います。僕たちの多くは、世界や国のチャンピオンになるわけではありません。実際に競う相手は自分です。何かできたら喜び、次を目指す。できなくても、負けたつもりになって落ち込まず走り続ける。目的は、自分がよくなることで、記録そのものではないのです。
ヨガとランニングは、陰と陽のようです。大きな陰にも少し陽があり、大きな陽にも少し陰がある。ヨガでも、いい調子で走っているときでも、集中し、世界に溶け込み、体の一つ一つの動きや筋肉の滑らかさを感じる瞬間があります。調和のいちばん深いところで、二つは不思議なくらい似ています。