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はじまり

走ることが、暮らしになった一年。

読書時間の目安:約3分
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あるレースのあと、完走メダルを下げた写真をFacebookに載せました。「マラソンの準備の仕方を読んで、ちゃんと実行すれば、ちゃんと走れるものだ」と添えて。すると友人のデニス・クレメンチエフから「その準備の仕方って?」とコメントが来たのです。レース前に練習量を増やし、最後は減らしていく話を短く書こう。そう思ったのですが、それだけでは足りない。週間走行距離にも触れたいし、僕を助けてくれた心拍ゾーンも説明したい。ピッチの話も少し……。本や記事をいろいろ読み、自分で試し、どの工夫がどう効くのかを体で確かめてきました。年の終わりにまとめて書けば、誰かの役に立つかもしれない。そうしてできたものは、投稿一つには収まらなくなりました。

ここにあるのは僕個人の観察と、うまくいったこと、失敗したことの振り返りです。人に指示するためのものではありません。僕にはこういうことが起きたけれど、同じことが誰にでも起きるかはわかりません。ただ、面白がって読んでもらえて、走る楽しさに出会うきっかけになればうれしいです。

この本を『無我夢走の一年』と名づけました。いつの間にか、走ることが「トレーニング」という枠からはみ出し、習慣にも予定にも、旅にも会話にも入り込んできたからです。走ることに夢中になったら、暮らしはどう変わったのか。その顛末を書きました。

先に結末を少しだけ

身長180cmで体重89kgだった時期があります。1kmさえ休まずに走れず、体から漂うにおいも、あまり褒められたものではありませんでした。

走り始めると、少しずつましになりました。体重は82kgまで減り、フルマラソンの42.2kmを4時間弱で完走。いわゆるサブ4、4時間切りです。まあまあ自分に満足していました。

45歳になったころ、さらに走ることにのめり込みました。この一年で体重は72kgになり、体脂肪率は8%以下。マラソンは3時間12分で走りました。

どうしてそうなったのか。ここからがその話です。

走り始めたころ

数年前、友人のアレクセイ・ベルロフとアメリカを旅しました。車を借り、大西洋から太平洋へ。ワシントン、マイアミ、ニューオーリンズ、コロラド、アリゾナ、ラスベガスを通って、ロサンゼルスまで走ったのです。一度はやってみたいと思う人の多い旅を、僕たちは実行しました。本当に楽しい冒険でした。夜はその土地のバーでビールを飲み、朝になるとアレクセイはランニングに出かける。それから二人で一日中、車で先へ進みました。

「どうして走るの?」と尋ねると、「街がまるで違って見えるから」と彼は答えました。走ると、ゆっくり歩く観光客より遠くまで見られるし、中心街を車で通り抜ける人には見えないものが見える。牛乳を配る人、仕事に向かう地元の人。駐車場や有名な名所だけでなく、歩行者のための道、浜辺、公園。見えるものが、ぐっと増えるのです。

なるほどと思い、初めての5kmに挑戦しました。場所はパウエル湖の近く。暑くて、周囲は砂ぼこりの舞う砂漠です。結果は散々でした。体じゅうが痛い。びっくりするほど遅い。息も絶え絶え。僕はその場でランニングをやめました。

ところが家に戻ると、ナイキのシューズを買いました。単に広告が好きだったのです。せっかくその靴があるのだから、とNike Run Clubのアプリも入れ、少しずつ走るようになりました。こうして、ナイキ派のランナーが一人できあがりました。

とはいえ、しばらくは取り立てて面白いことも起きませんでした。

ときどき走り、まずハーフ、その後フルを一度、もう一度と完走しました。でも、記録はごく平凡でした。